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ヨーヨー、世界中で流行巡り巡る。

1995年初夏、展覧会の仕事で出張したブラジル・サンパウロの街角で、ヨーヨーに興じる子供たちに出会った。学校でも大人気だという。彼らは得意技を披露しながら「そのうち日本でもはやるよ!」と楽しげに笑った。数年後、日本で新型ヨーヨーが発売されて人気を博したとき、サンパウロの子供たちの予言を懐かしく思い出した。
 ヨーヨーは2つの車を短い軸でつなぎ、そこに巻き付けた糸の先をもってふり下ろし、しゃくり上げ、両輪を回転させて遊ぶもの。その動きに心を傾ける時間、私たちは日常を忘れ、ストレスから解き放たれる。
 始まりは古代ギリシャの玩具かフィリピンの狩猟具か、いや中国の発明品か……と諸説あるが、振り返れば近世以来、その流行は世界的規模で起こっている。
 18世紀後半、英国では「プリンス・オブ・ウェールズ」、フランスでは「ヨーヨー・ド・ノルマンジー」とバラの品種のような名で親しまれたヨーヨーは同じ時代、米国でもインドでも広く知られていた。日本では中国渡来のヨーヨーが「手車」と呼ばれて上方の老若男女に愛され、やがて江戸でも流行する。1770年代の江戸の玩具絵本や浮世絵にも手車が描かれておりすでに近世において、小さな玩具が世界中を駆け巡っていた事実に驚かされる。
 2度目の流行は20世紀前半。1929年、米国カリフォルニア州のヨーヨー製造会社が毎日30万個を送り出すほどの大ヒットを飛ばす。32年、英国で世界大会が開催されると欧州でもヨーヨー製造が始まり、同年から翌年にはその熱波が日本へも押し寄せてくる。
 当時、外国製ヨーヨーは3円と高価だったが、神奈川県の小田原近郊の村では、10銭ほどのヨーヨーを毎日3万個も作っていたという記録がある。街中にヨーヨーをふる若者があふれ、会社員も主婦も子供もみな夢中になった。インターネットもSNSもない時代にあっても、世界の流行は連動し、小さな玩具は国際性をもっていたのだ。
 その後、70年代にも90年代にも流行の波を体験して今、ヨーヨーは大道芸の小道具や競技性のある遊戯具として、安定的に愛好者を獲得している。
 転がり落ち、また我が手に戻ってくる小さな車の愛しさ――。時を超え、国境を超えて生きてきたヨーヨーは未来の人々の手の中でも回り続けているはずだ。
(日本玩具博物館学芸員
尾崎織女)
ヨーヨーといえば10年単位くらいでブームと衰退を繰り返し進化し続けている印象です。自分が子供の頃はハイパーヨーヨーというものがとても人気でした。どのくらい回してられるか。どんな技ができるか。パフォーマンスができるか。など幅広い遊び方がありますね。
最近のハンドスピナーもそのようなブームの変化に乗ったものでしょうか。回転するものに何かしらのロマンを感じますね。

出典:2017/11/25 日本経済新聞