劣化する「若者」定義~44才は若者か
■44才が若者か?
神奈川新聞によると、来年度より44才までが若者として支援対象になるようだ(就労支援 44才まで)。
もう、日本の人口の14~44才までが何人いて、それが全体の何割を占めるか、なんてことを調べる気にもならないほど、脱力する展開だ。
44才が若者か?
それをサポステ(地域若者サポートステーション~全国に170ある)は、支援対象が広がり、厚労省との委託契約がさらに保証される根拠になるとして受け入れるのか?
また、国民は「44才若者説」をあっさりスルーするのだろうが、このおかしさに誰かが何かを語らないのだろうか。
もちろん僕も「高齢ひきこもり」の方々(保護者含む)を日々支援しており、40代支援に税金が使われるのはウェルカムではある。
が、これが単純に「サポステ」で使用されるとなると話は変わってくる。
■サポステはあくまで就労支援システム
40代ひきこもりの多くは、特に都市部の人々は、すでにサポステを経験しそこを挫折して今に至っていると推察できる。
サポステはあくまで就労支援システムだ。言い換えると、就労の可能性が一義的にある人々が利用する施設である。
40代までにサポステを(おそらく複数回)利用して諦めてきた人々が、高齢ひきこもりになったからといってサポステの就労支援を再度受けて成功するとはあまり思えない。
いや、サポステ内に40代専用支援システムが広く構築されれれば別だが、これほど難しい就労支援も他にないため、簡単なことではない。
つまりは、40代になり「またやってみるか」とサポステを訪れるものの、そのほとんどが再び面談だけで挫折するのは目に見えている。
それだけ困難なジャンルなのだ。
■2種類の「劣化」
根本的には、
1.40代ひきこもりのような新しく出現した社会問題に対して新しい定義ができない厚労行政とアカデミズムが「劣化」している
という問題がある。
そして、
2.厚労省の委託事業を前提に法人マネジメントを構築する(主として)NPOサイドの感受性の「劣化」
も2つめにある。
40代を若者として定義せざるをえないような状況が我が国を襲っている。
それに対して、よくわからない元若者一群をこれまでの常識に従い「若者」として捉え続けていく。
最初は34才までが若者、しばらくして39才までが若者。
最新は、44才が若者だ。
社会参加困難な人々をいつまでも若者として定義し続けていくと、それは当然「社会参加」の問題につながり、それは当然、就労と社会保険支払いと税支払いの問題につながる。
もちろん、就労支援再チャレンジになんとか成功し、その結果、社会保険と税を支払える44才もいる。
だが、大部分は、再挫折していく。
再挫折し、再びひきこもる。
■「下請けNPO」からの脱出
だから、就労支援的社会参加を中心命題とするサポステにこの問題(高齢ひきこもり)をすべて委ねず、たとえば発達障害支援センターの担当範囲を拡大させたり、「ピアサポート」組織を税金でつくったりする行政横断的なチャレンジがいま求められている。
サポステの予算は1/3程度にして、発達障害やピアサポートに2/3を流せば、それは福祉支援にはなるものの、サポステで消費される無駄な税金が抑制されるように思われる。
これはたぶん、行政サイドからは出てこないし、マスコミもマニアックすぎて語れない問題だ。
つまりは、非営利組織であるNPOが自らのリストラと組織再生を賭けて提案するのが最も手っ取り早いと僕は思う。
その意味で、「44才若者」説は、「下請けNPO」から脱出できるチャンスだと僕は思っている。●
【参考】
BLOGOS 17.11.28